日を増すごとに寒くなっていきますね。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
11月20、21日にかけて、慶應ローバー一年の塙スカウトが提案した「震災復興プロジェクト」の活動第一弾として、同じく一年小佐野、中圓尾スカウトと共に岩手県釜石市視察を行いました。
今回の記事は広報担当である中圓尾が担当します。
今年の夏に、第二回東日本大震災復興支援高校生フォーラムに参加した塙、小佐野スカウトが「僕たち慶應ローバーにできる復興支援はないだろうか」と考えたのがこのプロジェクトの発端です。
↑本プロジェクト責任者、塙スカウト(商1)
↑小佐野スカウト(経1)
↑中圓尾スカウト(法政1)
19日に夜行バスで東京を出発し、20日の朝、岩手は花巻駅に到着しました。
早朝5:30の花巻市は、まさに痛いほど寒く、氷点下を下回る世界でした。
しばらく駅構内で暖を取ったのち、釜石行の始発電車に乗り込みました。
電車の中から眺める窓の外には都会では見ることのできない、自然豊かな風景が広がっていました。
↑自分の名字と同じ駅名「小佐野」と一緒に写真を撮る小佐野(おさの)スカウト。目的地、釜石駅の一つ前が小佐野駅でした。
釜石駅に到着すると、そこには岩手県連盟盛岡第5団の庄司健スカウトの姿が!
そう、今回庄司スカウトはボランティアとして私たちの視察に協力してくださったのです。
本当に、スカウトの輪の広さ、強さを感じますね。庄司スカウト本当にありがとうございました。
20日は庄司スカウトの車に乗って、釜石市内を視察しました。
釜石市では市民、事業者、行政が力を合わせて震災発生の直後から復旧事業、並びに新しい街づくりに尽力されたため、
市役所の周辺は新しい建物が立ち並び、大型ショッピングモールも地域の方の生活利便を向上を促していると感じました。
ですが、少し市街地から離れると、今だ、大津波被害の傷跡が残っています。
写真左にはまだ、工事中の更地が、右の建物は一階部分が完全に柱だけになったまま残っています。当時は建物の3階部分まで津波が押し寄せていたそうです。
地区によって、復興の度合いにばらつきがあり、この写真の地区やその他の孤立集落では遅々として復興が進んでいません。
当時ここから見た景色はどのようなものだったのでしょうか。いまはこの灯が静かに町の復興を見守っています。
津波でなぎ倒されたフェンスが車から見えました。よく見ると、このような津波の痕跡はいたるところにに残っているんですね。
津波で流されてしまった小学校跡地には仮設商店街ができていました。ここで4人で昼食をとりました。海鮮丼、とてもおいしかったです。
遠くに見えるこの島は、一度は聞いたことのある「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった島だそうです。
折角ですので、上陸しました!波は穏やか、海もとてもきれいです。沖縄とはまた違ったきれいさがありました。
小さな島ですが、こんなところにも津波の爪痕が。鳥居がなぎ倒されていました。
ひょうたん島を去ったあと、近くで牡蠣の要職をされている漁師さんの元へ話を聞きに行きました。
岩手県、特に釜石はリアス式海岸で有名な漁師の多い市でこの漁師さんは、震災前に生産していたオリジナルブランド「釜石桜牡蠣」をもう一度作り始めたそうです。
この写真は、牡蠣の殺菌を見学しているところです。
現在、この漁港には、多くのボランティア大学生がお手伝いにきてるそうで、塙スカウトは今後の参考にしたいと熱心に話を聞いていました。
夜は、震災後、行政で復興の第一線でご尽力され、また同時に釜石地区のボーイスカウトの副隊長もされている山崎さんにお話しお伺いました。
市の行職員の経験から、津波襲来の日から復興への道のりを詳しく教えてくださいました。
その一方で、津波の一当事者として、情熱的で、心に残る話をいくつかしてくださいました。
そのなかの一つを紹介できればと思います。
みなさんは、災害が起こった時、何を一番に考えることが必要だと思いますか。
当たり前の話ですが、「命を守ること」ことです。
山崎さんは、この点を座談会で終始繰り返されていました。
「死んでしまってはどうにもならないんです。町は復興することができます。ですが、人は死んでしまったら、やり直しがきかないのです。」
「よくメディアではこうだったから復興が遅れた。物資の支援が遅れたなどと事後検証を行っていますが、大事なのはそこではなくて、どうやって一人でも多くの命を守るかです。」
「ですから、災害の直後、或は災害前の行動をいかに改善するかです。津波がこの高さまできそうだ、この地域まで浸水しそうだ、ではなくて、『とにかく津波が来たら逃げろ』ということがだいじなのです。」
座談会のあと、小佐野スカウトと庄司スカウトは一足早く帰宅しました。
ここで、一日を終えた、小佐野隊員の感想です。
僕は埼玉県連盟主催の東日本大震災復興支援高校生フォーラムに、参加者として、またアドバイザーとして2度関わってきました。その中でも特に大きな被害を受けた被災地として釜石が取り上げられ、現地のスカウトや指導者方から当時の様子を聞いてきました。しかしどんなにお話を聞いても、ショッキングな写真や動画を見ても、それを実感することは難しいことです。被災者の方も風化防止のために一度被災地を見に来て欲しいと思っていることを知り、いつか行ってみたいと思っていたところ、慶應ローバーで震災に関するプロジェクトを行うということで、今回はその視察として釜石に行かせて頂きました。
釜石駅は山の間にあって駅前には何ら変哲もない風景が広がっていて、実際に被災した場所は駅から結構遠いところにあるんだなと感じました。しかし、今回の視察は岩手連盟ローバースカウトの庄司さんが車で色々な所に連れて行って下さったのですが、その車で少し進んでみると実はそこは海のすぐ近くであったことがわかりました。リアス海岸であるため山のすぐ近くがもう海なのです。そしてそこには津波によって2階の窓が割れたままのビルや廃墟、かさ上げ中の土地など震災の爪痕を残すものも多くありました。今回一番驚いたのは、復興した街と震災の爪痕が共存していたことです。釜石の中心部はイオンが建ったりとかなり復興が進んでいる様子。しかし中心部から外れたり、トンネル一本を隔てた違う市町村に行くとまだ家すら建っていないような状況が広がっていました。最近はメディアで取り上げられることも少なくなりましたが、まだまだ多くの人が仮設住宅での生活を余儀なくされていることを肌で感じました。また、かさ上げをしたあとに建物を建ててもそこには原風景は残っていないこと、仮設住宅で新たなコミュニティーが出来たため容易には元の場所には戻れないというお話にはかなりの衝撃を受けました。今までは早く新居を構えて早くそこに戻ればいいじゃないかと考えていましたが、復興が全然進んでいない様子やこのような問題を受け、思った以上に深刻な状況であることがわかりました。
このように行ってみないと実感できないことはたくさんあります。頭では理解しているつもりでも、実際の状況はそれ以上のものです。今後の活動を通して多くの人にこの状況を知って頂けたらと思います。
21日は、山崎さんに同行していただき、更に釜石市を視察しました。
津波被害の現場だけではなく、釜石市の歴史資料館などにも連れていってくださいました。
釜石市にある代表的な石碑です。子供から、おとなまで多くの市民が後世に残したいと書き記したメッセージが胸を打ちます。
オオカミ少年の物語をご存知でしょうか。津波を実際に経験したからこその、この言葉だと思います。
ここは、もともと駅のホームだったそうです。駅のホームは周囲より一段高くなっているため、駅を挟んで海と反対側に住んでい住民の中には、ホームが防潮堤の役割を果たしてくれるだろうと考えていた人もいたそうです。
世界最大深度63mの釜石港湾口防波堤です。2010年にはその深度からギネスにも登録されました。
津波襲来の際、そのエネルギーに耐えられず、決壊。現在復旧整備が行われています。
仮設住宅も見学させていただきました。ここでは、山崎さんの仕事仲間の方に遭遇。施設内でお茶をご馳走になりました。
ここに限らず、市内を歩いていると、たびたび山崎さんを知る方に遭遇しました。
山崎さんの信頼度の高さと、地域に根付くコミュニティの輪を垣間見ることができました。
山崎さん、一日お付き合いいただき本当にありがとうございました。
塙スカウトの感想と今後のビジョンです。
今回の視察は僕が計画している今後の東日本大震災復興支援プロジェクトの方針決めのために行ったものです。今回は去年まで釜石市の防災課長であった山崎さんからお話を聞くことや、岩手のローバーである庄司健さん、山崎さんの案内による釜石視察を行いました。
山崎さんのお話の中で、震災に関して人が忘れてしまうのはしょうがないし、それが人間の良いところでもある。しかし生きなければ何も意味がない。震災が起きたら生きることだけを考えろ。というものがあり、これこそが被災された人の生の意見だと思いました。この話を聞き、やはり僕は震災の恐ろしさ、現在も復興が終わっておらず苦しんでいる人がいることに関する風化防止、継続した広報が特に大事だと思いました。なのでこれからも入念に計画し、そして3月にもう一度被災地を訪れ実際に奉仕活動をし、より多くの情報を集めることで、プロジェクトをより充実したものにしていきたいです。
今回の視察の報告は以上です。
塙スカウトの言うように、今回視察から得たものをプロジェクトの内容に生かし、更に内容を深く吟味していきたいと思います。
これからも頑張っていきましょう!
日々のスカウティングお疲れ様です。
大阪連盟ユース会議の堺と申します。
上記プロジェクトはどのようなことをされるのかは分かりませんが、何点か釜石で調査を行ったことが有りますので、アドバイスに成るかどうか分かりませんが、書かせて頂きます。
・釜石は、市が独自にまちづくり会社というものを設けて復興を目指しています。現在では市街地に作った駐車場などの経営なども行われています。市街地の計画も同会社が入り込んで作成を行われているみたいです。
・住民に関しては、避難所の生活に対して、NPOが支援を行っています。いわゆる仮説支援員制度です。支援を行っているのは、アットマークリアスというNPOですので、仮設住宅の住民に対してなにか支援を行いたい場合は、一度問い合わせるといいと思います。
以上です。私も大阪連盟で東北の復興支援プロジェクトを行っていますので、もし協力できることがあれば、させていただきたいと思います。
大阪連盟では3月末に復興支援・防災に関してのフォーラムを東北のスカウトを迎えて行います。もしこちらもよろしければお願い致します。
日々のスカウティングお疲れ様です。
大阪連盟ユース会議の堺と申します。
上記プロジェクトはどのようなことをされるのかは分かりませんが、釜石で調査を行ったことが有りますので、アドバイスに成るかどうか分かりませんが、2点書かせて頂きます。
・釜石は、市が独自にまちづくり会社というものを設けて復興を目指しています。現在では市街地に作った駐車場などの経営なども行われています。市街地の計画も同会社が入り込んで作成を行われているみたいです。
・住民に関しては、避難所の生活に対して、NPOが支援を行っています。いわゆる仮説支援員制度です。支援を行っているのは、アットマークリアスというNPOですので、仮設住宅の住民に対してなにか支援を行いたい場合は、一度問い合わせるといいと思います。
私も大阪連盟で東北の復興支援プロジェクトを行っていますので、もし協力できることがあれば、させていただきたいと思います。
また、大阪連盟ユース会議では3月末に復興支援・防災に関してのフォーラムを東北のスカウトを迎えて行います。もし、こちらもよろしければお願い致します。
ご説明ありがとうございます。
このプロジェクトを計画している1年の塙です。
僕たちは東日本大震災の恐怖、そして今もその震災によって苦しんでいる人がいる、
ということについての風化防止、広報を重視した活動をしていこうと思います。
今回はその活動の下準備として釜石を訪れました。
頂いたアドバイスも是非活かしていこうと思います。
大阪連盟のプロジェクトについては庄司健さんから少し聞きました。
今後の活動の参考にしたいのでぜひ活動内容について更にお聞きしたいです。
お互いプロジェクトをより良いものにしていきましょう。